【書評】無私の日本人 -穀田屋十三郎-

無私の日本人

無私の日本人

「武士の家計簿」の著者が記す、江戸時代を生きた無名無私の人々を描いた史書。小説のような臨場感で一気に読み終えた。

18世紀半ばの江戸時代、貧困に喘ぐ仙台藩吉岡宿において、造り酒屋の穀田屋十三郎と茶屋の菅原屋篤平治を中心に村の8人の同志が、武士に金を貸し利子で郷里を潤すという前代未聞の大事業を成し遂げた話である。

この仙台市吉岡宿に残された「国恩記」という書物に記された古文書を元に作者が小説のように仕立てた読み物である。普段、歴史小説をあまり読みなれておらず、最初はやや難儀するかに思われたが、実に面白かった。

伊達藩の他藩とは違った特性、陸奥・東北の歴史性、江戸時代における日本人の風土性を随所にエピソードを交えて紹介してくれているところが興味深い。

 

たとえば、「身分相応」。

すなわち、江戸という社会は、日本史上に存在したほかのいかなる社会とも違い、「身分相応」の意識でもって保たれていた。身分というものがあり、人がその身分に応じた行動を取る約束事で成り立っていた社会である。その開祖、徳川家康は「味噌は味噌臭きがよく、武士は武士臭きがよし」という言葉を好んだ。ようするに「身分に応じた振る舞いをせよ」ということである。武士が見事に腹を切るのも、庄屋が身を捨てて村人を守るのも、この身分相応の原理に従ったものであり、この観念は、江戸時代における最も支配力の強い人間の行動原理であった。身分相応の行動を取るのが、あたりまえであり、それに従わぬものは、世間から容赦なく、卑怯者、無道者の烙印を押され、白眼視された。

 

または、「公共心」

すなわち、江戸時代の日本人の「公共心」は世代をタテにつらぬく責任感に支えられていた。(そんなことをしては、御先祖様にあわせる顔がない。きちんとしなければ、子や孫に申し訳ない)という感情であった。

 

さらに「家意識」

「家意識」とは、家の永続、子々孫々の繁栄こそ最高の価値と考える一種の宗教である。この宗教は「仏」と称して「仏」ではなく先祖をまつる先祖教であり、同時に、子孫教でもあった。子孫が絶え、先祖の墓が無縁仏になることを極端に恐れた。江戸時代を通じて、日本人は庶民まで、この国民宗教に入信していった。室町時代までは、家の墓域を持つことはおろか、墓に個人の名を刻むことさえ珍しかったが、江戸時代になると、「誰が墓を守るのか」が問題になり、「墓を守る子孫」の護持が絶対の目的になった。それゆえ、「現世のおのれか、末世の子孫か」と、迫られれば、たいていの人間は後者をとった。

 

他にも、江戸時代の統治制度、伊達藩の官僚主義、その中で無名な村民の意を汲んだ奇特なお代官の橋本権右衛門、この物語に出場する時代背景や名も無き大人物から、「古来、心ある者には才知がなく、才知ある者には心がない」というなどという含蓄のある言葉まで、宝石のように至るページに埋め込まれた金言をページをめくりながら出会える喜び。

物語としてもぐっと熱くなるシーン、情景を伴って心に迫ってくる。

われわれの知らない強く美しい日本人がいた。

こうした人物、歴史に寄りかかることなく、まさに平成の世に生きるわれわれひとりひとりが穀田屋十三郎となって、困窮する日本を救うために、子孫に何が残せるのかを真剣に考えなければならない。