根回しの効用

週末恒例の叔父コラム

 「根回し」とはもともと木の移植を容易にするために、根の回りを処理しておくことをいうのだが、転じて物事が円滑に進むように、あらかじめ手を打っておくことを意味するようになった。一般には、会議で事を決定したり、指示、命令や依頼をする前に、事前に相手に話しをして納得を取り付けることを指す。
 「根回し」という言葉から、陰湿で密室政治的なイメージを持つ人が少なくないと思う。確かに「根回し」にすべてを依存し、公の議論をすべて排除することがいいはずもないが、日本人の精神構造の中でこの「根回し」が重要な位置を占め、ビジネスの社会で依然として要求されていることも事実なのである。
「根回しなどという姑息な手段は潔しとしない。あくまで正攻法でいくべきだ」という人もいるかもしれないが、これでは少なくとも日本においては、ビジネスがスムーズに進行しないことを覚悟しておいた方がいい。
日本の社会で「根回し」が非常に重要な意味を持つのは、日本人が元来農耕型民族であって、基本的に同質の価値観を持ち、何事も腹を割って話せばわかるはずだという社会を構成しているからであろう。このため日本人は公の場所で議論することが嫌いだし、それが下手な民族だとも言える。公の場所はストレスのかかる場だから、そんなところで判断を求められても困る、もっと気楽な状態で判断させてほしいと考える性向を大方の日本人はもっているようである。なかには事前に話しがなかったからといって、メンツにこだわる人もいるに違いない。
一方、西欧社会のような他民族、騎馬型社会では、相手の感情にまで入り込んだ根回しは基本的になりたたない。公の場所で「正義」と「正義」をぶつけあって堂々と議論する、いわゆるディベイトが得意ともなり、それを美徳とするようになったといえるだろう。
いずれにせよ、「日本社会」と「根回し」とが密接に結びついている以上、「根回し」はなくなるものでもないし、またこれに特に劣等感を持つ必要もないと思う.したがって、会社の中でも、部門間の根回し、上下の根回し、また社外の関係先との根回しは必要に応じて行なわねばなるまい。
ビジネスの要諦は人を動かすことにある。人を動かす一番の決め手は、相手を納得させることである。有無をいわせぬ命令や、公の席での通り一遍の依頼では人は動かないが、誠意を尽くした説得や説明でひとたび納得すれば、人はすぐさま行動を起こす。根回しの必要性の原理・原則はここにある。実は西欧社会においてもこの意味での根回しは重要とされているし、実際に大いに行われているのである。ロビイストという名称で呼ばれる人達は根回しの専門家だし、国連等の国際機関等ではほとんどアングラのレベルでことは決していると言われている。
ところで「根回し」さえすれば公の場が必要でないというわけではない。公の場はきちんと議論・ディベイトをし、あるいは正式な指示、命令、依頼をしなければならないのは、言うまでもない。(K)